『銃・病原菌・鉄』は、人類史における文明の格差を「人種の優劣」ではなく「環境の差」で説明した。その視点は、世界を捉える私たちの考え方を大きく変えた。だが同時に、この本だけでは語りきれない部分もある。
近代以降の歴史を決めたのは、環境だけではなかった。国家や民族といった「フィクション」、制度や思想といった人間の選択もまた、大きな力を持っていた。環境に支配されるだけの存在から、環境を設計し直す存在へ──それが人類の歩んできた道である。
ここでは『銃・病原菌・鉄』が示した環境決定論を整理した上で、その限界と、これからの人類に託された課題について考えてみたい。
『銃・病原菌・鉄』が与えた衝撃
初めて『銃・病原菌・鉄』を読んだとき、私は強い衝撃を受けた。
人類史の文明格差を「人種の能力差」ではなく、「環境の条件差」で説明するという視点は、それまでの固定観念を根底から揺さぶるものだった。
小麦や大麦といった高栄養の穀物、牛や馬といった家畜化に適した動物、東西に長い大陸の地形──それらの偶然が文明の発展を左右した。人間の知恵や勇敢さよりも、最初に与えられた環境のカードが歴史を決めてきたというのだ。
この視点は、人類の歴史を「勝者の物語」として語る従来の見方に疑問を突きつけた。優れた文明を築いた民族が「もともと優秀だった」のではなく、ただ幸運にも環境に恵まれていた──この逆転の発想が、私の歴史観を大きく変えた。
そして同時に、私はそこにある種の希望も感じた。もし人種や民族の優劣が歴史を決めたのではないのなら、未来もまた変えられる。環境によって生まれた差は、環境を作り替えることで克服できるかもしれない。
『銃・病原菌・鉄』は、過去を説明する本であると同時に、未来への問いを突きつける本でもあったのだ。
環境決定論の力と限界
『銃・病原菌・鉄』の最大の功績は、人類史の格差を人種や民族の能力に還元せず、環境という外的条件の違いで説明したことにある。
作物や家畜の種類、大陸の形、病原菌への免疫──こうした要因は確かに文明の出発点を大きく分け、数千年にわたって格差を積み重ねていった。環境決定論は、歴史を理解する上で強力なレンズとなる。
だが、この視点だけで近代以降を説明するのは難しい。
なぜなら、環境条件がほぼ同じであっても、社会の進路が異なる例が存在するからだ。たとえば同じユーラシア大陸でも、中国とヨーロッパでは近代化の速度に大きな差が生じた。これは地理的条件だけでは説明できない。
また、20世紀以降の技術革新やグローバル化は、人類が自ら環境を作り替える時代に突入したことを示している。化石燃料の大量利用、インターネットやAIの登場は、自然環境よりも人為的な制度や技術の設計が社会を左右する局面を生んでいる。
私はここに、環境決定論の「力」と同時に「限界」を見る。環境は出発点を規定するが、その後の歴史は人間の制度や思想、選択によって大きく変わりうるのだ。
国家や民族というフィクション
環境が文明の差を生んだとしても、人類はその後、環境を超える新たな枠組みを築いてきた。その代表が、国家や民族といったフィクションである。
国家は、目に見える存在ではない。国境線は地図の上に引かれた線にすぎず、民族という概念も多くは近代になって作られた。にもかかわらず、人々はそのフィクションを信じ、命を懸けて守ろうとする。これは環境要因とは別の強力な社会的エネルギーである。
このフィクションは、人類史に大きな役割を果たした。国家の枠組みは軍事や経済を動員する力を持ち、民族意識は共同体をまとめ上げる基盤となった。ヨーロッパが近代において突出したのも、競争環境に加え、国家というフィクションを最大限に活用したからだ。
だが、このフィクションは両義的である。共同体をまとめる力であると同時に、排除や戦争の根源にもなった。人類は環境の偶然だけでなく、自ら作り出した物語によっても歴史を動かしてきたのである。
私はここに、人類の可能性と危うさを同時に感じる。国家や民族は虚構にすぎないが、その虚構を信じることで現実を変えてしまう。環境が決めた条件を超えて、フィクションが歴史を左右する時代に、人類はすでに足を踏み入れているのだ。
制度と思想が変える未来
環境が文明の出発点を決めたとしても、その後の歴史を形づくったのは人間の制度と思想であった。
制度は人々の行動を枠づけ、思想はその正当性を与える。
両者が組み合わさることで、社会は環境を超えて変化する力を持った。
産業革命を可能にしたのも、蒸気機関そのものだけではない。特許制度や資本市場といった制度が発明を支え、啓蒙思想が知識の共有を後押しした。
逆に制度や思想が抑圧的であれば、たとえ技術が存在しても社会を変えることはできなかっただろう。
現代もまた同じである。
気候変動やAIのような新しい課題に対し、どのような制度を築き、どのような思想を共有するかが未来を決める。
環境はもはや与えられるものではなく、制度と思想を通じて人間が設計し直す段階に入っている。
私はここに、人類の可能性を見出す。環境がすべてを支配する時代は過去のものとなりつつある。今や問われているのは、私たちがどんな制度と思想を選び取り、未来を形づくっていくのかということである。
環境を超えて──私たちの選択
『銃・病原菌・鉄』が描いたのは、人類が環境に規定されてきた歴史だった。作物や家畜、病原菌といった偶然の配分が文明の格差を生み、その影響は数千年にわたり積み重なってきた。環境がもたらした条件の違いが、歴史の勝者と敗者を分けてきたのである。
だが現代の私たちは、その環境にただ従うだけの存在ではなくなっている。
エネルギー、医療、情報技術──人類は自ら環境を作り替える力を手にしつつある。
かつては病原菌に文明が倒れたが、今ではワクチンや衛生制度がそれを制御できる。
かつては土地が文明の行方を決めたが、今ではグローバルなネットワークが国境を越えて社会を結びつけている。
もちろん、人類は依然として環境に制約されている。気候変動はその典型だろう。
しかし、それに対処する制度や技術を選び取れるかどうかは、私たち自身の判断にかかっている。
私はこの点に、本書を超えて考えるべき未来の課題を感じる。
環境が与えた偶然に左右されるだけでなく、その環境をどう設計し直すか。
それこそが、これからの人類の選択であり、理性の試練なのだ。



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