銃や鉄より強かった病原菌

比較人類学・文明論
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※この記事はシリーズ「銃・鉄・病原菌が語る人類史」の第4回です。(全4回)

ヨーロッパ人が新大陸を征服できた最大の理由は、銃でも鉄でもなかった。決定的だったのは、彼らが無意識に持ち込んだ「病原菌」だった。

天然痘やインフルエンザなどの感染症は、長い時間をかけて家畜と暮らしてきたユーラシアの人々に免疫を与えていた。しかし、家畜に恵まれなかったアメリカ大陸の人々は、この見えない兵器にまったく備えがなかった。

結果、戦場での武力差を超える規模で人口が激減し、インカやアステカといった帝国は瓦解した。
病原菌は、銃や鉄をもしのぐ力で人類史を動かしたのである。

天然痘がもたらした壊滅的打撃

1492年、コロンブスがアメリカ大陸に到達したとき、そこには数千万規模の人口を抱える高度な文明が存在していた。アステカやインカの帝国は、都市や道路網、精緻な宗教体系を持ち、ヨーロッパに劣らぬ組織力を誇っていた。

しかし、彼らは数十年のうちに壊滅的な人口減少に直面する。最大の要因は戦争でも銃でもなく、ヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘である。免疫を持たない先住民にとって、この病は致死的だった。数年のうちに人口の半分以上が失われた地域もあり、指導層や労働力の多くが倒れた。

この打撃は、帝国の政治と社会の基盤を根底から揺るがした。アステカ帝国はスペインの進軍に抗しきれず、インカ帝国では皇帝や有力者が病で命を落とし、内乱が勃発した。ヨーロッパ人の進軍そのものよりも先に、病原菌が社会を瓦解させていたのである。

私が印象的に感じるのは、この「戦わずして勝つ」構図だ。征服者たちは必ずしも意図して病を広めたわけではない。だが、彼らの到来と共に病原菌は新大陸を席巻し、戦場に立つ前から勝敗は決していた。

天然痘は、新大陸の文明を倒した見えない兵士だった。

ユーラシア人が免疫を持っていた理由

ヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘やインフルエンザが壊滅的な打撃を与えたのに対し、彼ら自身はなぜ耐えられたのか。それは長い歴史の中で培われた免疫の蓄積によるものだった。

ユーラシア大陸では、農業と家畜化が早い段階から進んでいた。牛、豚、羊、鶏──こうした動物たちは、食料や労働力をもたらすと同時に、病原菌の温床でもあった。牛由来の天然痘、豚由来のインフルエンザ、鳥由来のはしか。人間は知らず知らずのうちに、家畜から次々と新たな病を受け取っていたのである。

もちろん、最初は大きな犠牲を払った。感染症の流行は幾度も人口を激減させ、共同体を苦しめた。しかし、数千年にわたり繰り返されるうちに、部分的な免疫を持つ人々が生き残り、その免疫は子孫に受け継がれていった。結果として、ユーラシアの社会は「病と共存する力」を獲得したのである。

一方、アメリカ大陸やオセアニアでは、大型家畜がほとんど存在しなかった。リャマやモルモットはいたが、牛や豚のように大量飼育されることはなく、病原菌が人間社会に広がる機会も少なかった。そのため感染症に対する免疫がほとんど形成されず、外来の病原菌に対して脆弱な状態にあった。

ここで強調すべきは、これは人種の優劣ではないという点だ。ヨーロッパ人が特別に「病に強かった」のではなく、長い時間をかけて環境が免疫を作り上げていたにすぎない。病原菌の影響は、努力や知性を超えて、人類と環境の偶然の関わりによって決まっていたのである。

病原菌は「見えない兵器」だった

ヨーロッパ人の征服において、銃や鉄以上に決定的だったのは病原菌だった。少数の兵士が大帝国を倒せたのは、戦う前に病原菌が先住民の社会を崩壊させていたからである。

この意味で病原菌は見えない兵器だった。

もっとも、当時の人々はそれを兵器として意図的に使ったわけではない。あくまで環境と歴史が偶然生み出した副産物であった。

しかし現代では状況が異なる。20世紀以降、人類は細菌やウイルスを意図的に利用しようとし、生物兵器として開発した例がある。国際条約によって禁止されてはいるものの、その存在は「病原菌が兵器になりうる」という事実を裏づけている。

偶然の産物だったはずの病原菌が、やがて意図的に兵器として研究された。これは歴史の皮肉であり、人類が環境に支配される存在であると同時に、それを利用しようとする存在でもあることを示している。

環境が生んだ歴史的偶然

病原菌が決定的な力を持った背景には、環境がもたらした偶然があった。

ユーラシア大陸では、農業と家畜化が早く進み、人と動物の距離が近かった。その結果、人類は数千年にわたって感染症にさらされ、犠牲を払いながらも部分的な免疫を手にした。対照的に、アメリカ大陸やオセアニアには家畜化できる大型動物がほとんど存在せず、感染症が社会全体に広がる条件も整わなかった。

こうして、大陸間で「免疫の有無」という初期条件の差が生まれた。
それは人々の能力や知性の差ではなく、環境に偶然与えられたカードの違いにすぎない。だがその違いが、文明の盛衰を決めるほどの重みを持った。

私はここに、人類史の非情さを感じた。

努力や才覚を超えた偶然が、数千万の命運を左右し、大陸全体の文明を傾けた。

人間は理性を誇る存在でありながら、その行く末を環境に委ねざるを得ない存在でもあったのだ。

環境がもたらした偶然の連鎖が、アステカやインカの崩壊を早め、ヨーロッパの世界進出を後押しした。

歴史を形づくったのは、英雄や名将だけではなく、目に見えぬ病原菌と、それを育んだ環境そのものだったのである。

病原菌が描いた新世界の地図

アステカやインカの帝国を崩壊させたのは、スペイン人の銃や鉄だけではなかった。

最大の決定打は、彼らが無自覚のまま持ち込んだ病原菌であった。天然痘やインフルエンザは、戦場での勝敗を超えて、先住民社会を根こそぎ変えてしまった。

この人口激減は、単なる一時的な被害にとどまらなかった。労働力の欠如は農業や交易の基盤を失わせ、支配層の死は政治秩序を崩壊させた。残された社会は、少数のヨーロッパ人にとって容易に征服できる状態となったのである。

病原菌は「見えない兵器」として、ヨーロッパの植民地支配を可能にした。もし免疫の条件が逆であったなら、歴史の流れも大きく変わっていたかもしれない。だが実際には、環境が生んだ偶然が新大陸の運命を決め、近代世界の地図を描き直したのだった。

私はここに、人類史の重い事実を見る。文明の盛衰を分けたのは人間の知恵や勇敢さではなく、時に環境がもたらす偶然だった。病原菌は、人類が「自ら選べない条件」によって動かされる存在であることを突きつける。

そして今日の世界秩序もまた、その偶然の延長線上にある。ヨーロッパが優位に立ち、アメリカがヨーロッパ化したのは必然ではなく、病原菌が描いた歴史の一つの帰結だったのである。

猿トル
猿トル

新大陸を滅ぼした天然痘と、現代を揺らしたコロナ。
時代も規模も違うけど、「国境を越えて社会を変えてしまう」って意味では同じなんだ。人類は科学を誇ってるけど、ウイルス相手にはまだ振り回されるんだね。

コメント

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