文明の発展を決めたのは、兵器や政治制度よりもずっと根源的なもの
それは農業と家畜だった。
肥沃な三日月地帯で小麦や大麦を育てられた地域と、根菜やトウモロコシに依存した地域とでは、人口規模も社会の組織力も大きく異なっていった。
さらに、馬や牛、羊といった家畜が加わることで、人類は労働力と軍事力を手に入れるだけでなく、病原菌への免疫という見えない武器まで手に入れたのである。
私が強く印象づけられたのは、この差が偶然ではなく、地理的条件によって「最初から分岐していた」という事実だ。
環境が与えた作物と動物の種類が、その後の文明の運命を大きく方向づけていたのである。
農業革命がもたらした人口の力
人類史における最大の転換点のひとつは、狩猟採集から農耕への移行である。
農業は単に食べ物を増やしただけではない。余剰を生み出したことが、文明そのものの基盤を形づくった。
狩猟採集の社会は、食糧が不安定であるため人口を大きく増やせなかった。
だが、小麦や大麦といった穀物を安定して生産できるようになると、食糧供給は飛躍的に拡大する。
これにより人口は増加し、同時に人々は定住を余儀なくされた。定住は集落をつくり、やがて都市へと発展していく。
人口が増えることは、単に数が多くなる以上の意味を持つ。
分業が可能になるのだ。
農業に従事しない人々が戦士や職人、支配層として活動できるようになり、社会は複雑さを増す。国家や軍隊、官僚組織の成立は、こうした人口の集中と分業なしには考えられない。
しかし、すべての農業が同じ成果を生んだわけではない。肥沃な三日月地帯の小麦や大麦は高カロリーで保存も効いたが、アメリカ大陸のトウモロコシやアンデスのジャガイモは収量が安定せず、栄養バランスも偏りやすかった。こうした違いが、早い段階から文明間の格差を生み出していった。
私が注目するのは、ここで生まれた「人口の力」が後の歴史を方向づけた点である。単に人が多いというだけでなく、余剰と分業が新たな制度や技術を生み出す土壌を育てた。つまり、農業革命は単なる食糧の確保ではなく、文明の可能性そのものを拡張する出来事だったのだ。
肥沃な三日月地帯という特権
農業革命がどこでも同じように起きたわけではない。実際には、人類が最初に本格的な農耕を始めたのは、現在の中東に広がる「肥沃な三日月地帯」と呼ばれる地域だった。
チグリス・ユーフラテス川流域から地中海東岸にかけての半月形の地域である。
この土地には、小麦や大麦、レンズ豆、ヒヨコ豆など、人類が栽培に適した栄養価の高い作物が自然に自生していた。とりわけ小麦と大麦は高カロリーで保存性に優れ、余剰を蓄えやすかった。
つまり、この地域の人々は「農業に適したスターターキット」を手にしていたのである。
さらにユーラシア大陸の東西方向の広がりも重要だった。大陸が東西に長いということは、同じ緯度帯に沿って作物や技術が伝播しやすいということを意味する。気候や日照時間が似通っているため、ある地域で栽培できた作物は他地域にも適応しやすかった。これにより農業の広がりは速く、結果として大陸全体での人口増加と社会複雑化を促した。
一方で、アメリカ大陸やアフリカ大陸は南北方向に長く、気候帯を跨ぐことで作物の伝播が困難だった。メソアメリカで育ったトウモロコシが南米のアンデスに広がるには何千年もの時間を要した。
こうした条件の差が、文明の発展速度に大きな影響を与えたのである。
私が強く感じるのは、ここでの「特権」が偶然に近いものだったという点だ。どの地域の人間も同じだけの知恵を持ち、同じように生き延びようとしていた。それでも、小麦や大麦を手にできたか、トウモロコシやイモに頼るしかなかったかという初期条件の違いが、後の文明格差を決定づけた。
環境が与えたこの「特権」が、文明のスタート地点からすでに不平等を生み出していたのである。
家畜化された動物たち
農業と並んで文明の運命を大きく変えたのが、動物の家畜化である。狩猟採集の社会でも動物は利用されていたが、継続的に飼育し、労働や軍事、食糧として組み込むことで人類の生活は一変した。
特に重要だったのが「五大家畜」と呼ばれる存在
馬、牛、豚、羊、ヤギである。
これらはいずれもユーラシア大陸に集中しており、他大陸では家畜化に適した大型動物がほとんど存在しなかった。
牛や馬は耕作や輸送の労働力を提供し、羊やヤギは毛や乳をもたらした。
豚は食肉として効率よく利用できた。
なかでも馬は軍事的に決定的な役割を果たし、機動力と破壊力を持つ「騎兵」という戦闘スタイルを可能にした。
家畜は単なる生活の補助ではなく、文明の軍事力そのものを形づくったのである。
しかし、家畜の影響はそれだけにとどまらない。
動物と密接に暮らすことで、人類は新たな病原菌と出会った。
牛からは天然痘、豚からはインフルエンザといった具合に、家畜がもたらす病気は人間にとって脅威であった。
だが、長い時間をかけて免疫が形成されることで、ユーラシアの人々はこれらの病原菌にある程度耐性を持つようになった。
一方で、アメリカ大陸やオセアニアでは、馬や牛に相当する大型家畜がほとんど存在しなかった。
リャマやアルパカはいたが、軍事力や耕作に使えるほどの規模や能力はなかった。
そのため、免疫を獲得する機会も少なく、外部から病原菌が持ち込まれたときに壊滅的な打撃を受けることになった。
こうして見ると、文明を動かしたのは「家畜を持っていたかどうか」という、まさに環境が与えた偶然だった。
人間の努力や知恵が同じでも、手にできる動物の種類が違えば、その文明の発展は根本から異なる軌跡をたどる。
馬や牛を持てた文明は、労働力・軍事力・病原菌への免疫という「三重の力」を手にしていた。
家畜化の成否が、その後の歴史の分岐点を決めていたのである。
家畜と病原菌のつながり
家畜は人類に食料や労働力を与えただけではない。もっと予想外で、もっと重大な影響を及ぼしたのが病原菌である。
牛からは天然痘、豚からはインフルエンザ、鳥からははしかやインフルエンザ類似の感染症が広がった。
人と動物が長く近い距離で暮らすことで、動物由来のウイルスが人間に適応し、やがて人類を悩ませる感染症として定着していったのである。
当初、それは人類にとって脅威でしかなかった。
乳幼児や高齢者はしばしば命を落とし、共同体全体が危機にさらされた。
しかし、何世代にもわたる繰り返しの中で、人々は部分的な免疫を獲得し、病原菌と共存するようになった。
つまり、家畜を飼う社会は、結果的に「病気に強い」社会へと変わっていったのだ。
対照的に、アメリカ大陸やオセアニアの人々は大型家畜と暮らす経験を持たなかった。
そのため天然痘やインフルエンザといった感染症への耐性がほとんどなく、ヨーロッパ人が到来したとき、病原菌はまるで「見えない侵略軍」のように人口を激減させた。
ピサロがインカ帝国を征服できた背景には、銃や鉄の力よりも、こうした病原菌の影響がはるかに大きかったとされる。
私はここに、歴史の皮肉を感じる。家畜を持つことは文明を豊かにしただけでなく、人類を病気の苦しみにさらした。しかしその苦しみが、長期的には免疫という武器を与えた。
文明は家畜から恩恵と災厄の両方を受け取り、そのバランスが歴史の帰趨を決めたのだ。
この視点に立つと、病原菌の流行もただの偶然ではなくなる。
環境が家畜を与え、家畜が病気を生み、その病気が免疫を育てた。こうした連鎖の積み重ねが、文明の差を拡大し、やがて「新世界と旧世界の運命的な非対称」を決定づけたのである。
環境がつくった初期条件の不平等
農業と家畜の力を見てきたとき、はっきり浮かび上がるのは、文明のスタート地点における初期条件の不平等である。
ユーラシア大陸には小麦や大麦のように高カロリーで保存の効く穀物があり、さらに牛や馬、羊や豚といった家畜に適した動物が集中していた。こうした条件は、人類が努力して獲得したものではない。最初から環境に与えられていた偶然の「配分」だった。
一方、アメリカ大陸やアフリカには、同じ規模で文明を推し進められるだけの作物や家畜が揃わなかった。彼らが怠けていたからではない。最初から持ち札が違っていたのである。その差が人口の規模や技術の進化、病原菌への免疫力にまで連鎖し、やがてヨーロッパが他の大陸を圧倒する力を生むことになった。
私はこの事実に、単純な優劣論を超えた歴史の冷徹さを感じる。文明の差は民族や人種の資質ではなく、与えられた環境の違いによって形づくられた。それは偶然のようでいて、積み重なれば必然となる構造だった。
だが同時に、この視点は希望でもある。もし差を生んだのが人間の「生まれつき」ではなく「環境」だとすれば、未来を決めるのは環境をどう設計するかにかかっているからだ。制度、技術、教育──それらもまた、人間が新たに築ける「環境」なのである。
農業と家畜が生んだ初期条件の差を踏まえれば、次の問いは自然に浮かび上がる。
なぜ同じユーラシア大陸で、ヨーロッパが産業革命を先行させ、中国や日本は後れを取ったのか。
次回では、この東西分岐の意味を掘り下げてみたい。

猫が家畜になったのは、犬や牛よりずっと後。
人間が飼いならしたというより、穀物を狙うネズミを追って人の集落に近づき、自ら共生を始めたんだ。
中国に猫が伝わったのは漢代ごろで、干支が決まった時代にはまだ身近じゃなかった。だから十二支に猫はいない──ただしベトナムでは「ウサギ」の代わりに猫が入ってるんだ。



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