支配のかたち──植民地主義の多層構造と内在性

知と帝国の構造 第3回 歴史・文明
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※この記事はシリーズ「知と帝国の構造」の第3回です。(全3回)

なぜ同じ国が異なる支配を使い分けるのか

帝国とは、単一の支配装置ではない。
それはつねに「中核」と「周縁」、「支配」と「同化」、「内と外」を併せ持つ構造体である。

イギリスはインドを「植民地」として扱った一方で、アイルランドを「王国の一部」と見なした。
日本は朝鮮や台湾を「外地」と呼びつつ、朝鮮人に日本語教育を強制し、戸籍を日本式に変えようとした。
ロシア帝国やソ連も、ウクライナや中央アジアを「共和国」と呼びながら、ロシア語とモスクワへの忠誠を強制した。

同じ帝国が、支配のかたちを地域や人種によって使い分ける。
その構造的な複雑さを、「内在的植民地主義」という視点が照らし出す。

内在的植民地主義とは何か──「国内」に潜む帝国

内在的植民地主義(internal colonialism)は、
本来「国内」とされる空間の中で、中央が周縁を植民地的に扱う支配構造を指す。

  • アイルランドにおけるカトリック弾圧と経済的収奪
  • スコットランド高地の文化破壊と土地追放(ハイランド・クリアランス)
  • アメリカにおけるネイティブ・アメリカンの強制移住政策
  • ソ連下のウクライナ人・バルト諸民族に対するロシア語教育と政治的従属

これらはいずれも、「国の中の別の国」に対して、開発と同化を名目にした文化的支配と経済的吸収を行ってきた例である。

日本の支配は「搾取」ではなかったのか?

日本の植民地支配は、欧米とは違う──としばしば語られる。

たしかに、日本は朝鮮や台湾において、

  • 道路・鉄道・ダムの建設
  • 初等教育の普及
  • 医療インフラの整備
    を行い、表面的には“近代化”を推進した。

だが、その目的は現地民の福祉ではなく、本国への資源供給と軍事的基盤の強化であり、
教育もまた、日本語教育や天皇崇拝を通じた文化的同化と忠誠の植え付けだった。

つまり、開発は搾取の手段であり、近代化は支配の道具だった。

配モデルの多層構造──内か、外か、それとも両方か?

帝国には、支配の層がある。

  • 完全な外部支配(ex-colonial):インド、アフリカ、ベトナムのような典型的植民地
  • 半同化的支配(internal-external hybrid):朝鮮、台湾、アイルランド、スコットランド
  • 完全な内在支配(internal colonialism):琉球、アイヌ、新疆、チベット、ネイティブ・アメリカン

この区分が意味するのは、

帝国主義とは「外に出て行く」だけではなく、「内にある他者」を作り出す技術でもあるということだ。

中央は常に「我々」と「彼ら」を線引きし、同時にそれを見えなくする。

なぜイギリスは支配を使い分けたのか?

イギリス帝国の支配戦略は極めて巧妙だった。

  • インドやアフリカは、間接統治(indirect rule)によって、地元支配層を通じて管理
  • アイルランドは王国として併合しながら、宗教差別と土地収奪によって徹底的に周縁化
  • スコットランドには限定的な自治と経済利得を与え、文化的同化を促進

この差異は、距離、宗教、人種、経済的価値、政治的危険度の評価によって階層化された支配だった。
つまり、帝国とは「一つの論理」で動くのではなく、複数の支配論理を同時に走らせるシステムだったのだ。

現代にも残る「内在的支配」の構造

内在的植民地主義は、過去の話ではない。

  • アメリカにおける黒人貧困地区への行政不在と構造的差別
  • 中国の新疆ウイグル自治区やチベット自治区への監視・文化抑圧

これらはいずれも、国家が内部に植民地を持ち続ける構造を示している。
そしてそれは、単なる差別や偏見ではなく、「国家の利益のために周縁を活用する」という帝国主義の構造的な継続に他ならない。

帝国とは、見えない線引きの技術である

帝国は、国境の外にあるものではない。
むしろ、「自国内の他者」を線引きし、文化と言語と経済を通じて包摂しつつ支配する技術こそが、帝国の本質である。

支配の形は変わっても、

  • 「中心と周縁」
  • 「我々と彼ら」
  • 「文明と未開」

という構図は今もなお生きている。

そして、そうした構造に対して異議を唱えるのが、学問の自由であり、知の誠実さである。

支配が消えても、構造は残る

帝国は滅びた。だがその構造は、まだ私たちの社会に息づいている。

ナショナリズムの名のもとに「内と外」を分け、
経済的な不満を「他者」のせいにしてゼロサムで語り、
自由な知を「敵対的」と見なす構図は、戦前と何ら変わっていない。

学問は、しばしば「反体制」の旗印を背負わされる。
だがその本質は体制に抗うことではなく、誠実に世界を問い直すことにある。

その誠実さが、時に国家よりも、制度よりも、そして感情よりも長く残ることがある
それが「知の自由」が、いかなる時代にも価値を持つ理由である。

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