なぜ発音とスペルはズレていくのか?──英語とフランス語の“不一致”を解剖する

比較人類学・文明論
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※この記事はシリーズ「言語はなぜ崩れるのか?」の第2回です。(全6回)

英語を学ぶ人なら誰しも一度はこう思ったことがあるはずだ。

「なぜ“knight”が“ナイト”と読むんだよ!」
「“colonel”が“カーネル”?いや無理あるでしょ……」

このように、スペルと発音のズレは英語学習者にとって最大の障壁のひとつだ。
だがこれは英語に限った話ではなく、フランス語やその他のヨーロッパ言語にも共通する現象である。

いったいなぜ、もともと一致していたはずの音と文字は、こんなにも離れていったのか。
そこには、音の変化のスピード、印刷技術の影響、そして“保守的な綴り”という文化的要素が絡んでいた──。

今回はこの「ズレの正体」を、歴史と構造の両面からひもといていく。

発音とスペルはもともと一致していた

英語の綴りと発音のギャップに頭を抱えたことのある人にとっては信じがたいかもしれないが、
英語の綴りはもともと発音と一致していた

たとえば、古英語(Old English)の時代──おおよそ5〜11世紀ごろ──には、
「cniht(騎士)」はそのまま「クニヒト」と発音されていた。
スペルはかなり素直に音を写していた
のである。

英語が素直だった頃

古英語の段階では、<c> は常に /k/ 音、<g> は /g/、<h> は /x/(ドイツ語の “Bach” のような音)と発音された。
つまり、一文字一音に近く、かなり規則的な綴りだった

しかしこの状態は長くは続かなかった。
中英語(Middle English)期になると、発音の変化が急激に進む
そして15世紀、英語はある“転機”を迎える。

印刷技術の登場と「固定された綴り」

グーテンベルクによる印刷革命がヨーロッパ全体に広がり、
1476年、イギリスにも最初の印刷機が持ち込まれる(ウィリアム・キャクストンによって)。
これ以降、英語の綴りは大量に印刷されることで“固定化”されていく

つまり、「この単語はこの綴りで印刷するものだ」という規範意識が芽生えたのだ。

ところが、綴りが固定化されたその時点で、音の変化はまだ止まっていなかった。

そして、音だけが進化していく

印刷が普及した16〜17世紀に起きたのが、英語最大の発音変化とされる「大母音推移(Great Vowel Shift)」である。

たとえば:

  • “bite” はもともと [biːtə] → [bait] へ
  • “name” は [naːmə] → [neɪm] へ

このように、母音の体系そのものがシフトし、発音が激変した。
しかし綴りは、印刷の権威を背に「古い形」のまま取り残された

音と綴りのズレは“歴史の化石”

つまり、現代の英語の綴りは、500年前の発音の化石といえる。

“knight” や “though” のように、
発音されない文字を含んだスペルは、「かつての音がそこにあった」ことの名残なのだ。

英語は、音の進化と書き言葉の保守性のギャップによって、発音とスペルがズレてしまったのである。

なぜ綴りだけが“保守的”になったのか?

文字は人間の「記録の手段」であり、音声よりもはるかに保守的な性質をもつ。
なぜなら、発音は自然に変化していく一方で、綴りは制度と記憶に縛られているからだ。
この章では、綴りがなぜ「変えられずに残ってしまう」のか、その背景を探っていく。

権威を持った「印刷」と「辞書」

発音は口伝で伝わる。だが綴りは一度書かれれば、長期的に参照可能な“規範”となる
それが強化されたのが、15世紀末以降の印刷技術の普及である。

印刷された文章は、大量に複製され、特定の綴りが「標準」として流通した。
やがて17世紀以降には辞書が編纂され、綴りはますます変えにくくなる。

発音は地域や世代で変わっても、印刷物や辞書は変わらない。
この非対称性が、綴りの“保守性”を生んだのである。

綴りを正す「力」が働きにくい

言語の話し言葉は、常に「使われ方」によって変化していく。
しかし綴りのほうには、「正しい形」「伝統」「語源」のような価値観がまとわりついている。

特に英語圏では、「綴りを変えること」が文化的な反発を招きやすい。
「正しいスペル」を教える教育が制度として根づいたことも大きい。

つまり、発音の変化には誰も逆らえないが、
綴りの変更には強い“意志”と“権威”が必要なのだ。

語源を守るという価値観

もう一つ、綴りを変えられない要因として大きいのが「語源主義」だ。
たとえば “debt” の <b>「b」</b> は、本来発音されないが、ラテン語 <b>debitum</b> に由来するという理由で残されている。

このような例は英語に多く、
中世から近世にかけて、ラテン語・ギリシャ語に由来する形が“格上”とされてきた歴史がある。

見た目の伝統を守るために、実際には使われない音が綴りに残される。
それが時に、発音との乖離を加速させる。

文字は“崩れ”を許さない

発音は崩れ、再編される。だが文字は崩れない。
むしろ、「正しく書くこと」がアイデンティティの一部になっている

とくに教育制度が整った近代以降は、
「正しい綴りを覚える」こと自体が知性や教養の証とされ、
文字の側に“崩れる余地”がなくなっていった。

だからこそ、発音と綴りはズレ続ける。
発音が柔軟に進化するほど、綴りは「古びた面影」を残す石碑のように、変化に取り残されていく。

英語とフランス語の“ズレ方”の違い

発音と綴りの乖離は、英語だけに限らない。
フランス語にも同様のズレは存在しており、場合によっては英語以上に「書いてあるとおりには読めない」言語として知られている。

しかし興味深いのは、英語とフランス語では「ズレ方」にも違いがあるということだ。
この章では、それぞれの言語の“ズレのメカニズム”を比較していく。

英語:発音が劇的に変わった

英語は、前章で述べたように大母音推移などの大規模な音変化によって、
綴りに比べて発音の変化がとにかく激しかった。

  • “meat” は古くは [meːt] → 現代は [miːt]
  • “name” は [naːmə] → [neɪm]

綴りは15〜17世紀にほぼ固定されたまま、音だけが突き進んだ
さらに、英語はフランス語・ラテン語・ゲルマン語が混在しているため、綴りの規則性もバラバラで、
語源や出自ごとにスペルと発音の対応が異なるという「カオスな状態」になってしまった。

フランス語:綴りも発音も“捨て切れない”

一方、フランス語のズレは英語とは違う。

まずフランス語は、英語と同様に発音の省略・変化が激しい。
語末の子音(t, s, d など)がほとんど発音されず、リエゾンによってつながりが大きく変わる。

  • “ils ont”(彼らは持っている)→ [il‿zɔ̃]
  • “beaucoup” → [boku]

しかしフランス語の場合、綴りが語源や文法機能を保持するための「表記装置」としての役割を果たしている。

  • 「s」がついていても複数形を示すだけで、発音には出ない
  • 「t」は疑問文や関係代名詞で現れても、発音されないことが多い

このように、綴りは音声を写すためではなく、意味や文法を伝えるために残されているケースが多い。

英語 → 混血ゆえの不統一

フランス語 → 制度と権威の守護者

英語のズレは、「いろんな言語の寄せ集め」と「急速な発音変化」に起因するカオス的ズレ
一方、フランス語のズレは「意味と規範を維持するために音を無視した」制度的ズレとも言える。

いずれにせよ、両者に共通しているのは、
音の進化に対して綴りが変化しなかった/させなかったという事実である。

猿トル
猿トル

「なぜフランス語の綴りはあんなに複雑なのか?」

フランス語の綴りが「音に忠実でない」のは、
実はただの偶然や放置の結果じゃないんだ。

中世から近代にかけて、フランスでは「語源回帰」の運動が起きて、
より“ラテン語らしい形”に綴りを寄せる傾向が強まった。
たとえば、”doit”(彼は〜すべき)や “temps”(時間)などの語末の <t> や <s> は、
本来発音されないのに、「正しさ」の名残として残されたもの。

つまり、フランス語の綴りは歴史の誇りと制度の化石のようなものなんだ。

ズレを補う「後付け装置」たち

発音と綴りがズレてしまった──。
だがそれで言語が機能しなくなったわけではない。
人間はそのズレに“橋をかける道具”をいくつも発明してきた。

ここでは、ズレを補正する代表的な仕組みをいくつか見ていく。

発音記号:音と文字のギャップを埋める“字幕”

最もよく知られるのが、国際音声記号(IPA)のような発音記号だ。

たとえば英語の “thought” は [θɔːt]、“knight” は [naɪt] といった具合に、
発音とスペルが一致しない単語の音を、正確に写すための“補助字幕”として機能する。

これは教育や辞書において特に有効だが、
日常的にはあまり使われないため、一部の人だけが理解できる“専門的言語”になりがちでもある。

スペル改革:制度によるズレの修正

もう一つの方法は、綴り自体を変えてしまう「スペル改革」だ。

たとえば、アメリカ英語の “color” は、イギリス英語の “colour” に比べて綴りが簡素化されている。
これはノア・ウェブスターによる19世紀初頭の英語改革によるもの。

ただし、こうした改革はすべての国で成功したわけではない。
フランス語や英語の本国では、伝統を重んじる勢力の反発が根強く、改革は部分的にとどまっている。

振り仮名・ルビ:日本語の特異なアプローチ

日本語では、漢字と音の関係が複雑すぎるため、
ふりがな(ルビ)という“音の補助装置”が文化として定着している

とくに教育現場や文学作品などでは、
意味と発音の両方を共有するための手段として、極めて柔軟に使われている。

これは、発音と表記の“乖離”をむしろ創造性として活かすという、他言語にはあまり見られない文化的進化とも言える。

猿トル
猿トル

アメリカ英語のスペル改革は“反英感情”の産物だった?

英語の綴りが国によって違うこと、気づいてた?
“color”(米)と “colour”(英)みたいなやつ。

実はこれは単なる合理化じゃなくて、
イギリスに対する文化的独立の一環として仕掛けられた改革なんだ。

19世紀初頭、ノア・ウェブスターは「アメリカらしい英語」を目指して、
イギリス式の綴りをばっさり削ったり、簡略化したりした。

つまりこの違い、言語のズレというより“アイデンティティのズレ”だったわけだね。

綴りが“崩れない”言語はどう作られたか?

前章までで見てきたように、多くの自然言語は発音と綴りのズレを抱えながらも、
なんとか補助装置で運用されている。

だが一方で、最初から発音と綴りが一致している言語も存在する。
あるいは、後から一致させた例もある。

それらはどうしてそんなことができたのか?
その背景には、制度・教育・国家の意志が強く関わっていた。

ハングルは“人工的に”作られた文字

韓国語の表記に使われるハングルは、1446年に世宗大王の命で制定された人工的に設計された文字体系字だ。

最大の特徴は、「音に忠実な表記」であること。
子音と母音の組み合わせで1音節が明確に記述され、
その構造は音素(発音の最小単位)にほぼ対応している

つまり、ハングルはそもそも「音と文字の一致」を目的として作られており、
他の言語のような“ズレ”を抱えていない。

トルコ語のラテン文字化:ゼロからの再設計

トルコでは1928年、ケマル・アタチュルクによる言語改革で、
アラビア文字からラテン文字ベースの新しい表記体系に切り替えられた。

このとき、徹底的に「音に対応する綴り」が設計され、
教育制度を通じて一気に普及した。

これは「近代国家として再出発するための象徴的な一手」であり、
同時に言語を国民教育の道具として機能させるための改革でもあった。

綴りが音に対応しているのは、自然な成り行きというよりも、
“制度によって意図的にそうされた”結果なのだ。

フィンランド語:表記の“整備しやすさ”も要因に

フィンランド語もまた、発音と綴りの一致性が高い言語として知られている。

この理由は2つある。

  1. 音素のバリエーションが少なく、一字一音の対応がしやすかったこと
  2. 19世紀以降に標準語として整備された際、発音に合わせて表記が制度化されたこと

つまり、フィンランド語も後天的に整えられた標準語であり、
「たまたまズレが起きなかった」のではなく、
ズレを起こさないように設計されたというわけだ。

混乱の中にある“創造性”──言語のズレは悪か?

ここまで、発音と綴りのズレがなぜ起こるのか、
そしてそれにどう対応してきたのかを見てきた。

だが、こうしたズレは本当に“問題”なのだろうか?
発音と綴りが一致している言語こそ理想なのだろうか?

この章では、ズレが生む創造性文化的な広がりについて考えてみたい。

ズレが生んだ“二重のレイヤー”

たとえば、英語やフランス語では「綴りの層」と「発音の層」が分かれている。
これは不便である一方で、意味と音の二重性という側面もある。

  • 綴りから語源や品詞を推測できる
  • 発音によって感情やリズムを変化させられる
  • 綴りと発音のギャップが詩や言葉遊びの素材になる

ズレは、言語のノイズであると同時に、表現の余白にもなり得るのだ。

英語の豊かさは“曖昧さ”から生まれている?

英語は非常に不規則で例外だらけだ。
だが、それゆえに発音、綴り、語源、意味が互いに自由に混ざりあい、
結果として「表現の幅」が広がっているとも言える。

  • 同じ音でも意味が違う(例:knight / night)
  • 同じ綴りでも発音や意味が変わる(例:lead 名詞 / 動詞)

こうした曖昧さは、言語としての堅牢さを損なう一方で、
創造的言語運用の可能性を拡張している。

ズレを生かす文化と、整える文化

一方、日本語では、綴りと発音のズレを“創作に利用する”文化が強い。

  • 異なる漢字にルビを振って意味を重ねる
  • 音読み・訓読みを組み合わせてニュアンスを作る
  • 和語・漢語・外来語がミックスして表現力を生む

逆に、フィンランド語やドイツ語などは、ズレを嫌い、厳密な表記体系を維持する傾向がある。
この違いは、単なる言語的事情というより、文化的な価値観の違いを反映している。

猿トル
猿トル

ズレっていうのは、ただのミスじゃなくて、別の道が見えてくる分かれ道でもあるんだよな。
完璧な言語なんて、たぶんすぐ飽きる。
不完全だからこそ、遊べるし、悩めるし、創れるんだ。
つまり、言葉がズレてるってことは、まだ“生きてる”ってことなのかもしれないね。

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